爺と落語と木工と

今回は爺の大好きな落語について話したいと思います。
落語というのは不思議なもので、江戸の長屋に腰を下ろしているうちに、いつの間にか木の香りがしてくることがあります。
爺がそう感じるのは、大工さんや木が登場する噺を聴いたときです。
金槌の音、鉋をかける所作、木を知り尽くした職人の勘…それらが噺家の言葉ひとつで、ありありと立ち上がってくるのです。
たとえば
『大工調べ』
腕はいいが短気な大工が、横柄な奉行とやり合う噺です。
専門用語が飛び交い、木や仕口の話になると、木工好きとしては思わず身を乗り出してしまいます。(長い噺で上・下あり。時に、上だけだったり下だけだったりします。)
材の癖を知っているからこそ出てくる啖呵は、まさに職人の矜持(きょうじ・プライドですね)。
笑いながらも「いい仕事をする人間は、言葉にも芯がある」と感じさせられます。
『牛ほめ』も忘れられません。
ちょっと足らない与太郎の噺で、褒め言葉をあれこれと父親から教わり新築したての叔父の家へ行くのです。
しかし、そこは与太郎。
まだ見てもいない庭を褒めてしまったり、教えられた口上が台本通りに行かなかったりと予想通りの展開で笑わせられます。
大工さんでは無い爺ですが木工を生業とする者として、天井や柱の形容は時代を超えたものがあると感じ入ります。
昔ながらの木造家屋の褒め言葉では、木に触れることの楽しさを改めて教えてくれる噺です。
「サゲ」が分かりにくいとも言われたりしますが、叔父さんが気にしている台所の節穴と可愛がっている牛をうまくリンクさせるなんて、古典落語はやはり凄い!と思います。
『火事息子』では、大工仕事そのものは主役ではないものの、長屋や家屋、つまり「木でできた暮らし」が背景にあり、火事と木の相性の悪さが噺全体の緊張感を支えています。
「火事と喧嘩は江戸の華」という言い回しがあるのも頷けます。
木は温かいが、同時に危うい。
その二面性を、落語はさりげなく伝えてきます。
親子の情愛を上手に表現している噺です。
『子は鎹(かすがい)』という演目もありました。
金槌と鎹と夫婦愛、親子愛、家族愛と人情噺としても古典落語としても傑作のひとつだと思います。
爺の大好きな噺のひとつです。
他にも『八五郎出世』『植木屋娘』などなど大工さんや木が登場する噺は多くあります。
こうした噺を聴くたびに思うのです。
木工の面白さと落語の面白さは、とてもよく似ている。
どちらも理屈だけでは成り立たず、経験と勘、そして人間くささ(人間性・人間味)が最後にものを言う世界です。
だからこそ、何度聴いても、何度削っても、同じにはならない。
皆さんにも是非「寄席」へ足を運んでいただき、「ナマ」の落語を聴いていただきたいと爺は思うのでありました。
寄席・初席

今年の1月7日、爺は浅草演芸ホールの昼の部で、人生初の寄席「初席」を体験しました。
年が明け1週間過ぎたとはいえ、正月の華やぎ、人の多さ、場内のざわめき。
そのすべてが新鮮で、胸が少し高鳴っていました。
その日の高座には、林家三平師匠と林家正蔵師匠の兄弟が並びました。
年末に亡くなられたばかりの母、海老名香葉子さんの話題に触れ、その思い出すらも笑いに変えていく姿に、爺は言葉を失いました。
悲しみを隠すのではなく、抱えたまま高座に上がる。
その「芸人魂」に、ただただ畏敬の念を覚えたのです。
正蔵師匠の演目は【松山鏡】。
亡き父を思う噺ですが、こんな時期でしたので、その「おとっつぁん」を、爺は無意識に「おっかさん」に置き換えて聴いていました。
鏡に映る己の姿を見て涙ぐむ場面で、笑いと同時に、胸の奥がきゅっと締めつけられる。
落語は、笑わせながら、静かに哀悼の意を忍ばせる芸でもあるのだと知りました。
爺の住む地方の新聞(地方紙)では2000年から海老名香葉子さんによる「照る日曇る日」というエッセイが連載されていました。
ご冥福をお祈りいたします。(合掌)
東京スカイツリー
寄席を出たあと、爺は初めて東京スカイツリーに登りました。
眼下に広がる夜景は、あまりにも明るく、あまりにも静かでした。

人の営みは、まるで木目のように無数に重なり合い、遠くから見ると一枚の景色になる。
木を削り、噺を語り、笑い、そして偲ぶ。
落語と木工が、どこかで深くつながっているその理由を、夜景を見ながら、少しだけ理解できた気がしました。

[落語に関する過去記事]
057 久しぶりの上京
【寄席①新宿末廣亭】
042 久しぶりの東京
【爺の上京時の楽しみ(宿泊ありの場合)part1】
Let’s try!


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